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水戸地方裁判所 昭和59年(ワ)466号 判決 1989年2月28日

原告

加藤裕子

右訴訟代理人弁護士

谷川光一

被告

今橋盛勝

右訴訟代理人弁護士

中平健吉

高野範城

右訴訟復代理人弁護士

中平望

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、朝日、読売及び毎日の各新聞の茨城版に別紙記載のとおりの謝罪広告を掲載せよ。

2  被告は原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和五九年一二月二八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  2項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者の地位

原告は、昭和五一年五月一二日当時、水戸市立第五中学校(以下「五中」という。)教諭であったものである。

被告は、昭和五六年七月一日当時、茨城大学人文学部助教授であったものである。

2  本件記述の掲載

被告は、昭和五六年七月毎日新聞社発行の月刊誌「教育の森」七月号に寄稿した「痛み覚えぬ教師たちとの闘い」と題する論稿(以下「本件論文」という。)において、水戸五中事件(原告が、昭和五一年五月一二日午前八時五五分ころ、五中体育館において、当時二年生の佐藤浩に体罰を加えたとして暴行罪で起訴された事件、昭和五六年四月一日東京高等裁判所において無罪判決の宣告がされ確定)について言及し、その中で、次のとおり記述した(以下併せて「本件記述」という。)。

(一) 「被告人教師のトントンと手拳でない形で軽く頭をたたいたという主張は、本人が言うだけで、そうであるということは一、二審とも全く証明されていない。」(以下「第一項目の記述」という。)

(二) 「それでは、懲戒行為を受けた生徒佐藤君は加藤教諭の主張に何といっているのであろうか。証言していない、否、証言ができなかったのである。「事件」から八日後に生徒は脳内出血で死亡したのである。」(以下「第二項目の記述」という。)

(三) 「学校、教師層、PTAの中枢には、この事件が被告人教師の暴行罪成立の有無(傷害致死罪ではなかったかという疑問は、今なお当時の生徒、父母、報道関係者の中に残りつづけている)をこえた、生徒、父母、住民の学校、教師たちに対する深刻な教育的、人間的不信感、信頼関係の崩壊という重大な教育問題であるという視点が完全に欠落していた。」(以下「第三項目の記述」という。)

(四) 「自らがつくり出した原因による信頼関係の崩壊から新たな教育的信頼関係を形成しなければならないという教育的文化的責任を、加藤教諭を含めて全教師が負っているという自覚が全くなかったのである。」(以下「第四項目の記述」という。)

(五) 「五中では加藤先生だけでなく、体罰は必要だと思っていた先生はいました、実際にやってたから。でも加藤先生の場合はヒステリックだったのです。カッとした姿がイメージとしてわくのです。」(以下「第五項目の記述」という。)

(六) 「他のお母さんは、私の息子も加藤先生には殴られたんだけど、殴られない人は少ないらしいんですよ、と言っているのです。それも有無を言わさず職員室に引っ立てられてって、他の先生が見ている前でいきなり殴られたというのです。」(以下「第六項目の記述」という。)

(七) 「①「女教師体罰事件」の真実を明らかにすること」(以下「第七項目の記述」という。)

3  本件記述の名誉毀損性

しかし、被告の前記第一ないし第七項目の記述部分は、以下のとおり原告が永年培ってきた教師としての社会的評価を著しく毀損するものである。すなわち、

(一) 第一項目の記述は、原告があたかも強度の暴行を加えたに違いないという意味にとれるものである。しかし右記述は、被告が学術研究者でありながら、証拠資料及び証拠原因と自由心証主義について十分に認識せずにこれを記述したものといわざるをえないものである。

第二項目の記述は、佐藤浩は原告の暴行により死亡したということを窺わせるものである。

第三、四項目の記述は、疑問を提示している(とされる)生徒、父母、報道関係者の存在を根拠にして、原告を含めた全教師が「教育的文化的責任」を負っていると結論付けるものである。

第五、六項目の記述は、前記東京高裁判決において確認された事実をことさら歪曲するものである。

第七項目の記述は、被告が水戸五中事件の真実は前記東京高裁判決の認定事実以外のものであると示唆していることを容易に看取させるものである。

(二) 以上の本件記述部分のみからさえ(本件論文全体を読めばさらに明瞭になるが)、被告が水戸五中事件について言いたいことが容易に看取できるのである。すなわち被告は、本件記述部分において、水戸五中教師には体罰を行い、教師同士かばいあう体質がある、原告は水戸五中事件において強度の暴行を佐藤浩に加えたに違いない、あるいはその暴行により同人を死に至らしめたかもしれないと述べているのであり、これが原告の教師としての社会的評価を著しく毀損するものであることは明らかである。

4 損害

被告が本件論文において前記の第一ないし第七項目の記述をし、原告が永年培ってきた教師としての評価を低下せしめた結果、原告は多大な精神的苦痛を受けた。また、被告の右行為は一部生徒の原告に対する信頼感を失わしめ、原告の指導力・影響力を低下せしめたため、原告は教育活動を行う上で大きな困難と支障を受けた。さらに、被告の右行為により、原告は嫌がらせの電話や手紙を受けるなど、困惑に満ちた生活を送ることを余儀なくされた。

原告が被告の行為により被った右のような精神的苦痛を慰謝するには、金一〇〇万円が相当である。

5 よって、原告は被告に対し、原告の名誉を回復するのに適当な処分として請求の趣旨1項記載のとおりの謝罪広告の掲載を求めるとともに、前記の損害金一〇〇万円及びこれに対する不法行為後の昭和五九年一二月二八日(訴状送達の翌日)から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二 請求原因に対する認否

1 請求原因1項の事実は認める。

2 同2項の事実は認める。ただし、水戸五中事件は、原告が単に一生徒に対し暴行を加えたという事件ではなく、傷害致死事件にまで発展する可能性があった事件である。

3 同3項は争う。

4 同4項の事実は否認する。

三 抗弁

1 正当行為

被告は、茨城大学人文学部教授(本件論文執筆当時は助教授)として、行政法、教育法を専門に研究しているものであるが、かねてより学校教育法一一条ただし書で体罰が禁止されているにもかかわらず、教育現場でこれがなくならないことに疑問を持ち、教育法社会学の見地から、体罰問題全般、中でも体罰の実態と、体罰をめぐる生徒・教師・父母の意識、法知識、法意識の実証的把握、分析に力を注いで研究をしてきた。

かかる研究の一環として、被告は自分の居住する学区にあった五中で起こった水戸五中事件について、これが公にされて以来深い関心を寄せ、被害者の父母からの事情聴取はもとより、民事、刑事の裁判を傍聴し、証言調書、新聞報道等を熟読するなどして、右事件における教師の教育法上の責任を分析し、その研究結果を論文の形式で発表してきた。

本件論文は、被告の右のような調査と研究の結果に基づく学問研究の発表であったものであり、被告のこのような論文の発表は、憲法二三条の学問の自由及び憲法二一条の表現の自由の範囲内にある正当な行為に当たるものというべきである。

2 教育公務員の受忍義務

戦後、教育は地域住民の協力と監視の下に行われるべきであるという教育の地方自治の理念が教育界にも導入され、教師及び学校は常に父母や地域住民の批判の対象とされ、相互の討論に基づいて相協力して教育にあたるべきこととされることになった(教育基本法一〇条に「直接に」とあるのはこの意味である。)。また、戦後教師は子供の能力を全面的に発達開化させるため、子供の人権を最大限に保障する義務があるとされ、学校教育法において、教育公務員の体罰は絶対的に禁止されると定められた。このような戦後の教育改革と教育法制の目的に照らせば、教育公務員が法律上違法行為をしたか、あるいはしたのではないかと疑われているときは、父母や地域住民からの批判を受忍すべき地位にあるものというべきである。

これを原告についてみると、原告は暴行罪で起訴され、昭和五五年一月一六日水戸簡易裁判所において、「佐藤浩の言辞及びその態度に立腹し、私憤にかられて右手拳で同人の頭部を強く数回殴打したことが明らか」であるとして罰金三万円の判決の言渡しを受け、さらに原告の体罰により我が子が死亡したと信ずる父母より、昭和五四年水戸地裁に損害賠償請求の訴えまで提起されたのであるから、これらの事件が最終的には無罪や請求棄却となったとはいえ、その行為は、法律上はもとより、社会的にも当然批判の対象とされて然るべきであり、原告はかかる批判を甘受しなければならないものというべきである。

3 真実の証明

(一) 公共の利害に関する事項

被告は、原告の指摘する七つの項目において、第一に体罰問題について、第二に右の体罰問題が生じた場合の学校教師等の負う応答義務、信頼関係回復義務についてそれぞれ論じたものであるが、第一の点は、学校教育法一一条ただし書が体罰を絶対的に禁止しているにもかかわらず現実にはこれが広範に存在し、それが生徒の人権に対する著しい侵害になっている実情に照らしてまさに公共の利害に関する事項というべきであり、また、第二の点は、体罰問題が生じた場合、学校、教師の応答義務、信頼関係回復義務が重要な意味を持つものであることからすれば、これまた公共の利害に関する事項というべきである。

(二) 公益目的の存在

前記のとおり、被告は体罰問題を実証的に解明し、体罰を根絶することを目的として体罰問題、特に水戸五中事件を研究してきたのであり、その一環として本件論文を執筆したものであるから、本件論文が公益を図る目的に出たものであることは明らかである。

しかも、本件論文の表現方法や執筆態度には真摯なものがあり、その公表の裏には金銭目当て等別な目的もないこと、また、本件論文には侮辱的、嘲笑的な表現は用いられておらず、噂、風聞をそのまま伝えたような部分もないことからすれば、本件論文には公益目的を認定することを妨げる事情も存在しないものといわなければならない。

(三) 真実性ないし真実と信じるについての相当性

(1) 第一項目の記述について

水戸五中事件の刑事公判記録に照らすと、「トントンと手拳でない形で軽く頭をはたいた」という被告人(原告)の主張は、被告人がそう言うだけで、被告人以外の第三者の証言その他の証拠によっては、一、二審いずれにおいても全く証明されていなかった。したがって、第一項目の記述は真実である。

仮に右記述が真実でないとしても、被告は刑事公判記録という確実な資料、根拠に基づき、一審判決や検察官の論告、高裁における検察官の弁論と同様の合理的な証拠の評価と合理的な推論に基づき、相当な理由をもって第一項目記載の事実を信じてこれを記載したものである。

(2) 第二項目の記述について

原告の懲戒行為を受けた生徒佐藤浩は事件の八日後に脳内出血で死亡し、そのため原告から受けた有形力行使の態様につき証言できなかったものである。したがって、第二項目の記述はすべて真実である。

(3) 第三項目のかっこ書部分の記述について

被告が本件論文を執筆していた当時、佐藤浩の死亡の原因が原告の有形力の行使によるものかもしれないとの疑問は広く存在し、公知の事実ともなっていたものである。しかもその疑問は、確実な資料である刑事公判記録に現れた原告の有形力行使の態様、佐藤浩の死亡に至る経緯、同人の頭部の受傷状況等に照らして、十分合理性のあるものであったものである。

(4) 第三項目(ただし、かっこ書部分を除く。)及び第四項目の記述について

原告、五中の校長・教師集団及び水戸市教育委員会は、水戸五中事件における原告の一生徒に対する有形力行使をめぐる父母、生徒の批判、不信に対し、応答義務、信頼関係回復義務を尽くさず、これを放置したため、父母、生徒の学校、教師に対する信頼関係は崩壊し、日常の学習活動や学級運営等に支障が生ずるという最悪の事態に陥った。被告は、第三及び第四項目の記述において、教育法研究者としてかかる問題性を指摘したものである。

(5) 第五項目の記述について

被告は、第五項目にある発言が公開の席で、しかも新聞記者も多数参加した中で行われたこと、発言者である五中の卒業生は水戸五中事件の上告を要望した嘆願書を提出しており、右嘆願書からは同人が水戸五中事件に対し真摯な関心を抱いているものと窺われたこと、さらに刑事公判記録に現れた証拠を子細に検討した結果、原告の生徒に対する日常の有形力の行使は感情的であったことが推認され、本件の有形力の行使も感情的に行われたものと認められたことなどから、これが真実であると考え、本項目のとおり記述したものである。

仮に、これが真実でないとしても、被告は、右のような確実な資料と根拠に基づき、これが真実であると信じて記載したものである。

(6) 第六項目の記述について

第六項目の発言は、発言を紹介した母親Bの発言と原情報源である「他の母親」の発言とから成っている。

まず、母親Bの発言については、同人の子供は、当時五中に存在していたため、よくよくの決心で真実の発言をしたものと考えられ、また同人は数年前までは教師をしており、体罰等の実情にも詳しかったことから、「他の母親」の発言を誤って紹介するようなこともないと考えられた。

次に、「他の母親」の発言内容については、同人が五中の学区内で自営業を営んでおり、学校、教師の反発をおそれていることが判明したため、同人から直接事情聴取することはできなかったが、被告が本件論文の執筆前に母親Bから事情聴取したところによれば、しっかりした考えの母親であり、水戸五中事件について強い関心を抱いているということであり、その発言内容は真実であると考えられた。

これらの発言部分については、さらに刑事公判記録という確実な資料の中にこれを裏付ける多数の証拠が存在した。被告はこれを調査、検討して、これらの発言部分が真実であると考えてこれを記載したものである。

(7) 第七項目の記述について

第七項目の記述は、水戸五中事件について、教育法的見地から、刑事責任とは異なる教師、学校の責任を解明していかなければならないことを述べたものであるが、かかる教師、学校の教育法的責任の解明は刑事訴訟手続とは別個の目的、視点から、別個の方法で行われるべきものであるから、そこにおける事実認定は必ずしも確定判決の認定した事実とは一致しないのである。

4 消滅時効

本件論文が掲載された月刊誌「教育の森」七月号が発刊されたのは昭和五六年七月であるから、本件記述に基づく損害賠償請求権については昭和五六年七月から消滅時効が進行したものというべきである。したがって、原告の被告に対する昭和五九年六月一五日付催告書及び本件訴状請求の原因にそれぞれ記載された第五、第六項目の記述を除いたその余の第一ないし第四及び第七項目の記述については、その時効の起算点から本訴提起時までに既に三年有余を経過した。

被告は、本訴において右時効を援用する。

四 抗弁に対する認否

1 抗弁1項は争う。

本件論文は原告が佐藤浩に体罰を加えて同人を死に至らしめたという認識の下に書かれたものであり、このことは本件論文を読めばおのずから明らかである。したがって、被告がいかなる学問的動機に基づき本件論文を執筆したとしても、本件記述の名誉毀損性が阻却されるものではない。

2 同2項は争う。

教育公務員であるからといって他からの批判を受忍すべき義務が特に強く存在するものではないし、教育公務員に対する名誉毀損の成立を特に厳しく抑制すべきとする根拠もない。

3 同3項(一)、(二)は争う。

本件論文は、原告が強度の暴行を加えて佐藤浩を死に至らしめたものとして、原告に対し何がなんでもかかる点の謝罪を求めているものとしか思えない。教育的文化的責任の名の下に、原告を非難しているとしか考えられないのである。

同3項(三)は争う。

「真実の証明」の問題における「真実」とは、司法判断により認定された事実を指すものというべきである。本件の水戸五中事件については、東京高等裁判所において昭和五六年四月一日に無罪判決が言い渡され、既にその判決は確定しているのであるから、右事件の事実(真実)は右判決の事実認定に尽きているのであって、右事実以外の事実は真実とはいえないものである。しかして右判決によれば、原告は「軽く握った右手拳をもって故佐藤浩君の頭部をこつこつと数回たたいた」と認定されたものであるから、かかる事実以外の事実を真実と信じ、またそう信じたことにつきいかに相当な事由が存在しようとも、名誉毀損の成立を妨げるものではないのである。なお、佐藤浩の両親から原告に対し、原告の体罰が原因で佐藤浩は死亡したとする損害賠償請求訴訟が提起されていたが、水戸地方裁判所は昭和五七年一二月一五日右両親の請求を棄却する判決を言い渡し、判決は確定した。この意味でも東京高裁判決の事実認定が真実であることが裏付けられているのである。

4 同4項は争う。

第三 証拠<省略>

理由

一請求原因1項(当事者の地位)及び2項(本件記述の掲載)の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二そこで、請求原因3項(本件記述の名誉毀損性)について判断する。

1  前記当事者間に争いのない事実と、<証拠>によれば、被告が本件論文を月刊「教育の森」に掲載した経緯について、以下のような事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一)  原告は、五中の保健体育及び国語の教師として勤務していた昭和五二年五月、「被告人は、昭和五一年五月一二日午前八月五五分ころ、水戸市堀町一一六六番地の水戸市立第五中学校体育館において、同所に居合わせた同校二年生の佐藤浩(当時一三歳)から「何だ、加藤と一緒か。」と言われたことに憤慨し平手及び手拳で同人の頭部を数回殴打する暴行を加えたものである。」として水戸簡易裁判所に略式起訴され罰金五万円の略式命令を受けた。しかし、原告はこれを不服として適法な正式裁判の請求をしたため、右事件は水戸簡易裁判所において正式裁判として審理されることになった。

なお、この事件は、事件後八日経った昭和五一年五月二〇日に、佐藤浩が突然脳内出血で死亡し、その約一か月後焼香に訪れた同級生が佐藤浩の家人に原告の佐藤浩に対する暴行があった旨を打ち明けたことから警察の捜査が開始されたものであるが、同時に新聞等のマスコミにより「女性教師体罰事件」としてたびたび取り上げれ、世上少なからぬ関心を呼ぶことになった。

(二)  原告は水戸簡易裁判所における審理において暴行の動機、態様並びにその構成要件該当性と違法性を争い、本件は軽率な言動の見られた佐藤浩を注意するため、軽く握った右手の小指側の下の部分で同人の頭頂部をとんとんと二回たたく行為を二回繰り返しながら説諭、訓戒したもので、注意力を喚起するため教育上有効な補助的手段を用いたに過ぎないものであるから、学校教育法一一条ただし書にいう「体罰」には当たらず、また、社会的相当性の範囲内にある行為として暴行罪にも当たらないと主張した。審理は約二年半にわたって行われ、その間裁判所は、暴行の目撃者として生徒四名のほか、教師三名、佐藤浩の母親をそれぞれ証人として取り調べ、昭和五五年一月一六日、目撃した生徒四名の証言等に照らせが原告が私憤にかられ手拳で佐藤浩の頭部を強く数回殴打しことは明らかであるとして起訴状どおりの事実を認定し、原告を罰金三万円に処する旨の判決を言い渡した。

なお、佐藤浩が事件から八日後に死亡したことから、同人の両親は、右判決に先立つ昭和五四年一一月一〇日、原告の暴行により佐藤浩は死亡したとして、原告及び水戸市を相手として水戸地方裁判所に損害賠償請求の訴えを提起した。このため水戸五中事件は、民事事件として、原告の暴行により佐藤浩が死亡したかどうかという点についても争われることになった(後の昭和五七年一二月一五日請求棄却の判決がされ、確定した。)。

(三)  原告は前記有罪判決に対し控訴し、審理は東京高等裁判所に移された。弁護人の控訴趣意は、大要、原告は佐藤浩の軽率な態度を是正するため、生活指導の一環として説諭しながら平手及び軽く握った手拳で同人の頭部を数回軽くたたいたに過ぎず、私憤による行為とはいえない、この点、原告が佐藤浩の頭部を強く殴打したとする目撃生徒四名の証言はいずれも信憑性がない、右のような原告の行為は教師としての正当な行為と認められるべきであり、暴行罪は成立せず原告は無罪であるというものであった。裁判所は、弁護人から申請のあった新たな目撃証人二名(いずれも事件当時五中三年生)のほか、佐藤浩の担任教師、教育関係者二名等を取り調べるなどしたうえ、昭和五六年四月一日原告を無罪とする判決を言い渡した。その理由は、原告は佐藤浩の軽はずみな言動をたしなめ、落ち着いた態度を身につけさせるため、教育上の生活指導の一環として、言葉で注意を与えながら、同人の前額部付近を平手で一回押すようにたたいたほか、右手の拳を軽く握り、手の甲を上にし、もしくは小指側を下にして自分の肩辺りまで水平に上げ、そのまま拳を振り下ろして同人の頭部をこつこつと数回たたいたもので、かかる行為はその動機・目的、態様に照らすと、学校教育法一一条、同法施行規則一三条により認められた正当な懲戒権の行使として許容された限度内の行為であり、刑法三五条にいう正当な行為として違法性が阻却され、同法二〇八条の暴行罪は成立しないというものであった。この判決に対し検察側は上告せず、判決は確定した。(なお、右判決は、原告の有形力の行使と佐藤浩の死亡との因果関係について、傍論ながら、「死亡の原因とみられる脳内出血が外因性のものであるか否かは全く不明であって、被告人の行為と佐藤浩の死亡との間に因果関係が存在することを認むべき証拠は全く存在しない。」としている。)

右判決は、とりわけ教師の生徒に対する有形力の行使といえども一定限度の範囲内においては法律上正当な懲戒行為として許されるとした点で大きな波紋を呼び、教育界や法曹界、マスコミでの議論をまきおこした。

(四)  被告は、茨城大学人文学部において、行政法と教育法を専門に研究しているものであるが(昭和四八年四月助教授に、昭和五八年四月教授にそれぞれ就任)、かねてから教育現場において体罰がなくならないことに疑問を抱いていたところ、昭和五一年、新聞で自己の居住する学区の五中で水戸五中事件が起きたのを知り、以来右事件に関心を寄せ、裁判の傍聴や訴訟記録の閲覧等、その調査、研究を行っていく過程で、体罰に関する問題一般についてもこれを研究課題として取り上げ、その調査結果や研究結果を種々の論文や著作として発表してきた。

折りから、昭和五六年四月一日水戸五中事件に関する前記東京高裁判決が出、これを契機として水戸五中事件に関心を持つ「子どもの人権を守る父母の会」(代表上村徳子)が主催する体罰について話し合う父母、教師等の集まりである「子どもを守る懇談会」が同月一九日(なお、本件論文には四月二〇日開催とされているけれども、同月一九日の誤記と認められる。)六十余名参加の下に水戸市内において開催されたが、これに請われて出席した被告は、会後間もなく、「体罰に教育効果はある?!」と題する特集を組んだ月刊「教育の森」七月号に、右集会の内容を織り混ぜながら、前記東京高裁判決の事実認定上及び法解釈上の問題点と、水戸五中事件における五中教師の教育的文化的責任を指摘した本件論文を掲載した。

2  ところで、特定の記述によりある者の名誉が毀損されたかどうかはその者の主観によるべきではなく、客観的にこれをみるべきものであるから、次にかかる観点から、本件記述が原告の名誉を毀損するものかどうかについてみることとする。

(一)  第一項目の記述について

前掲甲第三号証によれば、被告は本件論文の「体育館で何があったのか」と題する小見出しのなかで、第一項目の記述の前後において、次のように述べていることが認められる。

「第一審と二審の違いはどこから生じたものであるか、そもそも、決定的に対立する被告人教師、弁護人と検察官の主張は、それぞれいかなる証拠と証言にもとづいたものであろうか。

被告人教師のトントンと手拳でない形で軽く頭をたたいたという主張は、本人が言うだけで、そうであるということは一、二審とも全く証明されていない。(第一項目の記述)検察官の主張は「事件」を始終、至近距離で目撃していた四人の生徒の供述、とりわけ第一審における三人の生徒の証言にもとづいたものであった。

つまり、被告人教師の主張と目撃生徒三人の証言の対立であった。一、二審で証言した元体育主任教師の証言は、ふりかえって目をはなす間の事実にすぎないし、二審での弁護側証人としての二人の元生徒は「チラッと見た時」についての証言であり、前記三人の生徒の詳細な証言をくつがえすようなものではなかった。にもかかわらず、高裁が前に述べたような事実認定をなぜできたのか。また、東京高検は検察官として普通に要求されている職務=弁護側の立証、主張に対する反論、反証の責任を果たしたのか、さらには、上告をなぜ断念したのか、不可解としか言いようがないのである。」

かかる前後の記述をも加味して検討すれば、被告は、第一項目の記述において、原告の主張を検察官の主張と対比させたうえ、検察官の主張は至近距離で目撃した四人の生徒の証言に基づくものであったのに対し、原告の軽く頭をたたいたという主張は本人がそのように言うだけでこれを裏付ける証拠はない、したがって原告は一審判決のいうように佐藤浩の頭部を手拳で強く殴打した疑いがあると述べているものということができる。してみれば、かかる第一項目の記述が原告の名誉を毀損するものであることは明らかである。

(二)  第二項目の記述について

第二項目の記述は、それ自体原告の行為を云々しているものではない。しかし右記述は、単に佐藤浩は事件後死亡したため証言することができなかったと述べて然るべきところを、ことさら同人は事件から八日後に、しかも脳内出血で死亡したため証言できなかったとしているものであって、第三項目の記述中のかっこ書内の部分をも併せ考えると、これを読む者をして佐藤浩は原告の有形力の行使により死亡したかもしれないという疑いを抱かせるものといわなければならない。したがって、かかる第二項目の記述は原告の名誉を毀損するものといわなければならない。

(三)  第三、第四項目の記述について

前掲甲第三号証によれば、被告は、第三項目の記述において、原告を含む五中の教師には水戸五中事件が重大な教育問題であるという視点が欠落していたとし、また、第四項目の記述において、原告を含む五中の教師には、水戸五中事件を契機として崩壊した教師と生徒、父母との信頼関係を新たに作り上げなければならないという自覚が欠けていたとして、原告には刑事責任とは別の教育的文化的責任があると述べていることが明らかである。したがって、かかる第三、第四項目の記述が原告の教師としての社会的評価を毀損するものであることは明らかである。

(四)  第五、第六項目の記述について

第五、第六項目の記述は、その記述自体から明らかなように、いずれも他人の発言を引用する形で、原告が日ごろから怒り易く、かつ、しばしば生徒に体罰を加えることがあったかのように述べるものである。したがって、かかる第五、第六項目の記述が原告の名誉を毀損するものであることは明らかである。

(五)  第七項目の記述について

前掲甲第三号証によれば、第七項目の記述は、「子どもの人権を守る父母の会」が将来取り組むべき課題として考えている事項の一つを紹介するものであって、水戸五中事件の真相は東京高裁判決によっても尽くされていないとしてその真相を明らかにしようとする動きがあることを述べているものであることが認められる。しかし、前認定の事実によれば、東京高裁判決によって原告の主張はほぼ容れられ、この判決は確定したものであるから、なおこれを云々しようとすることは少なくとも刑事責任に関する限りは原告の主張を否定することにほかならないものというべきである。したがって、第七項目の記述は原告の名誉を毀損するものといわなければならない。

三そこでさらに、抗弁について判断する。

1  抗弁1項(正当行為)について

本件論文が大学の助教授であった(執筆当時)被告の教育法研究の一環として書かれたものであることは前認定のとおりであるが、しかし、だからといってかかる論文が他人の名誉を毀損しても違法性が阻却されるとは到底いえないものというべきであって、この点に関する被告の主張は失当というべきである。

2  抗弁2項(教育公務員の受忍義務)について

後記のように、公然事実を摘示して他人の名誉を毀損する行為であっても、公共の利害に関する事項であること等所定の要件を充たしたときは違法性が阻却され、あるいは故意、過失がないものとされるが、教育公務員に限らず公務員一般については、これを対象とする名誉毀損が公共の利害に関する事項にかかるものであるとして、右要件の一つを充足するとされることが多いとはいえても(刑法二三〇条ノ二第三項参照)、それ以上さらに、教育公務員であるからといって、その名誉に対する侵害に対し、これを受忍しなければならない義務があるものとはいえない。この理は、教育公務員がその職務上行った行為につき、父母、生徒等から疑問を提起されたのに対し答えなかったとしても同様というべきであり、それによって当該公務員に対する名誉毀損行為の違法性が阻却され、あるいはこれが減弱されるものではないというべきである。したがって、この点に関する被告の主張も失当というべきである。

3  抗弁3項(真実性の証明)について

一般に、公然と事実を摘示して他人の名誉を毀損した場合であっても、その行為が公共の利害に関する事項にかかり、専ら公益を図る目的に出た場合において、摘示された事実が真実であることが証明されたときには、その行為は違法性を欠き不法行為にならないものというべきであり、また、摘示された事実が真実であることが証明されなくとも、その行為者においてその事実が真実であると信じ、かつそのように信じるについて相当の理由があるときには、右行為には故意又は過失がなく、不法行為は成立しないものと解するのが相当である。なお、意見の表明により他人の名誉を侵害した場合であっても、その対象が公共の利害に関し、その目的が専ら公益を図る目的に出た場合において、その前提としている事実が真実であることが証明されたときは、その行為は違法性を欠き不法行為にならないものというべきであり、仮にそれが真実であることが証明されなくとも、それが真実であると信じ、かつそのように信じるについて相当の理由があるときは、右行為には過失がなく、不法行為は成立しないものと解するのが相当である。

被告は、本件において、かかる不法行為の成立を妨げるべき要件に該当する事実を抗弁として主張するので、以下この点について判断する。

(一)  公共の利害に関する事項

前掲甲第三号証によれば、本件論文は水戸五中事件について出された東京高裁判決を契機に開催された「子どもを守る懇談会」の内容を紹介しながら、右判決の問題点と教師の負っている責任を指摘し、併せて今後体罰問題に関し取り組むべき課題を提示するものであり、本件記述もかかる観点から、第一、二項目の記述は東京高裁判決の問題点に関して、第三、四項目の記述は教師の教育的文化的責任に関して、第五ないし第七項目の記述は右会における発言の内容等に関してそれぞれ述べられているものであることが明らかである。

ところで、近時教育現場において、教師が生徒に対し体罰を加えたとして問題とされる事件が急増し、これが社会問題となっていることは周知の事実であり、かかる体罰をめぐる事件の一つとして、水戸五中事件が社会の関心と注目をひき、これに関する東京高裁判決が体罰の限界論議に一石を投じたことは前認定のとおりである。

したがって、水戸五中事件の東京高裁判決の問題点や、体罰をめぐる教師の教育的責任のあり方、さらには体罰に関し話し合われた会の内容を執筆、公表してこれを公衆に知らせ、その批判にさらすことは、体罰に関する理解、認識を深め、結局は公衆の利益の増進に役立つものと認められるから、本件記述はいずれも公共の利害に関する事項にかかるものというべきである。

(二)  公益を図る目的

前認定の事実及び被告本人尋問の結果によれば、被告は教育法をその専攻の一つとする学者として体罰問題を研究課題に取り上げ、その一環として昭和五一年以来水戸五中事件の調査、研究に当たってきたものであるところ、昭和五六年四月一日水戸五中事件に関する東京高裁判決が教師の生徒に対する有形力の行使といえども一定限度の範囲内では学校教育法一一条ただし書にいう体罰に当たらない旨判示したことから、これが当時校内暴力の多発などにより強まっていた体罰容認の傾向に拍車をかけるのではないかと懸念し、父母、市民、教師等が集まり水戸五中事件と体罰について話し合う「子どもを守る懇談会」が開かれたのを機会に、右懇談会で出された各層からの体罰事例の報告や、体罰批判の意見を紹介しながら、東京高裁判決の問題点と教師の教育的責任を指摘し、体罰が禁止されるべきものであることを再認識してもらおうと判断し、右懇談会に出席して得られた参加者の発言や、水戸五中事件の刑事公判記録の調査結果などをもとに本件論文を執筆、掲載したものであることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

以上認定したような本件論文の執筆の動機、目的に加えて、本件論文に格別私憤にかられて記述したことを窺わせるような不穏当な表現方法もないこと等を併せ考慮すれば、本件記述はいずれも専ら公益を図る目的から執筆、掲載されたものということができる。

(三)  真実性ないし真実と信じるについての相当性

(1) 第一項目の記述について

前認定のように、水戸五中事件の刑事裁判においては、原告が佐藤浩に対し、どのような有形力を行使したかが一つの大きな争点であった。この点に関し、<証拠>によれば、一審において、原告の弁護人は、被告人は佐藤浩に対し平手でその前額部を一回軽く打ったのち、同人を説諭しつつ、右手を握った状態でその小指側でとんとんと頭の上部を軽くたたいたものである旨主張し、原告も被告人質問において、「佐藤浩に対し、口頭で注意を与えながら、握った手で二、三回頭の上から軽くたたいた。拳骨ではなく、軽く握った状態で、決してこぶができるというほど強く握り強くたたいたという状況ではなかった。」旨供述したのに対し、現場を目撃したとする田口泰光、磯辺信雄、蛭町修身及び伊藤博信の四人(いずれも事件当時五中生徒)の証人は、「被告人は、何かぶつぶつ言いながら、佐藤浩の頭頂部の辺りを拳骨で一〇回前後たたいた。かなり力が入っており、音がすごく、同人の頭はたたかれる度に動いていた。被告人はすごく怒っている様子だった。」(田口証言)、「被告人は佐藤浩の後ろから、拳を肩辺りに上げこれを振り下ろすような格好で同人の後頭部の上の方を一回殴った。同人が不満気な顔をすると、また続けてその場所を拳で五、六回殴った。割と強い感じであったが、音がしたかどうかは覚えていない。被告人はかなり怒っている感じであった。」(磯部証言)、「被告人は佐藤浩の左側頭部の辺りを軽く手を握って一、二回たたいた。なでるよりは少し強かったと思う。そのあと同人が不満そうな顔をしたので、被告人は怒ったようで、また四、五回たたいた。力の入れ具合は前と同じであった。その時、二、三回かすかにゴツというような音が聞こえた。」(蛭町証言)、「被告人は握り拳で佐藤浩の後頭部を一〇回程度たたいた。たたいては注意するという感じであった。さわるよりは強くたたいていたが、男の先生がたたく程ではなかった。」(伊藤証言)旨証言し(なお、他に現場を目撃したとする証人飯村平人教諭の証言があったが、同人の証言は被告人の右手が大体肩の線上辺りまで上がったのは見たが、その手が横や縦に動いているところは見ていないというものであった。)、裁判所はかかる生徒四名の証言を重視して、原告は佐藤浩の頭部を強く数回殴打したことが明らかであると認定したこと、控訴審では、目撃証人として再度飯村証人のほか、新たに証人鯨岡秀明と藤咲恵美子(いずれも事件当時五中生徒)の尋問が行われたが、いずれも原告が佐藤浩をたたいたことは見ていないという内容の証言であったこと、控訴審判決は、一審における四人の生徒のうち、田口証人の証言は信用できないが、同人を除く他の三人の証言は大筋において信用できるとしたうえ、これらの証言と、佐藤浩は普通に叱られている状態であったとする飯村、鯨岡、藤咲の各証言並びに捜査段階からの一貫した原告の供述を併せ考慮すれば、原告の行為は、佐藤浩に対し言葉で注意を与えながら、同人の前額部付近を平手で一回押すようにたたいたほか、右手の拳を軽く握り、手の甲を上にし、もしくは小指側を下にして自分の肩辺りまで水平に上げ、そのまま拳を振り下ろして同人の頭部をこつこにと数回たたいたという限度で認定するのが相当であると判示したことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

以上認定の事実によれば、水戸五中事件の刑事裁判における原告の主張(正確には、右認定のように、「佐藤浩に対し、平手でその前額部を一回軽く打ったのち、同人を説諭しつつ、右手を握った状態でその小指側でとんとんと頭の上部を軽くたたいた」という主張)は、一審における四人の生徒の証言のいずれとも異なるものといわざるをえず、他に「直接」これを裏付ける第三者の証言もないことはその訴訟経過に照らし明らかである。そして、前認定の一審における生徒の証言内容等に照らせば、水戸五中事件において、原告が佐藤浩に対しどのような有形力の行使をしたかについては、一審判決のように、四人(もしくは東京高裁判決のいうように、田口を除く三人)の生徒の証言を重視し、原告の供述はこれを裏付ける第三者の証言はないとして、原告は佐藤浩の頭部を手拳で強く殴打したと認定する余地も十分あったものということができる。しかして前認定のように、第一項目の記述は、原告の有形力行使の点について、原告の主張は一、二審を通じてこれを裏付ける証拠がなく、三人の生徒の目撃証言の方が信用に値するものであったとして、原告は一審判決の認定したような行為を行った疑いがあると述べるものと解されるところ、前記のように、一審判決のような認定の余地も十分あったのであり、しかも被告は一、二審の訴訟記録を調査、検討して右記述のように信じたのであるから、仮にこれが客観的事実に沿うものではないとしても、被告がこれを真実と信じたことには相当の理由があったものというべきである。

なお原告は、水戸五中事件に関する東京高裁判決が確定した以上、右判決で認定された事実こそが真実であり、それ以外の事実は真実とはいえない旨主張する。なるほど、確定判決において認定された事実は、一時不再理の原則等の要請から訴訟上容易に動かし難いものとなるが、あくまで訴訟は一定の証拠に基づく裁判所の判断に過ぎないものであるから、確定判決において認定された事実といえども、これが客観的ないしは絶対的な真実であるとはいえないことは他言を要しないところであって、確定判決により認定された事実と異なる事実を摘示して他人の名誉を毀損した場合といえども、直ちには右事実は真実でないといえないのであり、これが真実かどうかは改めて検討されなければならないのである。したがって、この点に関する原告の主張は採用できない。

(2) 第二項目の記述について

前認定のように、水戸五中事件で原告の懲戒を受けた佐藤浩は事件から八日後の昭和五一年五月二〇日脳内出血で死亡し、もとより右事件の刑事裁判において証人として証言することもできなかったものであるから、第二項目の記述それ自体は真実である。また、前認定の事実と前掲乙第二一号証の一ないし五一、被告本人尋問の結果によれば、佐藤浩は右のように事件から八日後に脳内出血で死亡しながら解剖に付されなかったため、同人の両親を初め水戸五中事件を知る一部の者に、原告の有形力の行使によって佐藤浩は死亡したのではないかという疑念が生じ、被告が本件論文を執筆した当時、佐藤浩の両親から原告及び水戸市に対し、佐藤浩は有形力の行使によって死亡したものであるとして損害賠償を求める民事訴訟も提起されていたことが認められるから、佐藤浩は原告の有形力の行使によって死亡したのではないかという疑念は真実存在したものということができる。そしてそのような疑念は、当時右のような民事訴訟も提起されていたことに照らせば、あながち根拠のないものではなかったものというべきであって、そのような疑いをいれる余地があると信ずるについては相当の理由があるものということができる。

(3) 第三、四項目の記述について

前掲甲第三号証によれば、被告は、水戸五中事件に関し、五中当局が佐藤浩の死亡した際、原告による「体罰」の事実を直ちに佐藤浩の両親に知らせず、また同人の通夜に在校生を出席させることもせず、さらには佐藤浩の遺体を解剖する必要があることをその両親に知らせなかったことから、生徒、父母、卒業生等の間から事件に対する学校側の対応について疑問が提示されていたにもかかわらず、一切これに答えず、生徒、父母の不信感を募らせ、教師と生徒、父母との信頼関係を崩壊せしめたという認識に立って、第三、四項目の記述において、原告を含めた教師、学校には、水戸五中事件が刑事事件を超えた重大な教育問題であるという視点が完全に欠落し、また、これを契機に崩壊した教師と生徒、父母との信頼関係を新たに形成しなければならないという教育的文化的責任を負っているという自覚がなかったと述べていることが認められる。

なるほど、被告本人尋問の結果によれば、被告のいうように、生徒、父母等の間に事件に対する学校側の対応について疑問が提示されていたことは窺われるけれども、<証拠>によれば、五中当局は昭和五六年六月二〇日、佐藤浩の両親から、佐藤浩は死亡する八日前に原告から体罰を加えられた旨聞かされ、同日原告に対し事情聴取を行いその疑いがあることを知り、警察に届け出たことが認められる。してみれば、五中当局は佐藤浩が死亡した昭和五六年五月二〇日当時、原告が同月一二日佐藤浩に対し有形力を行使した事実を把握していなかったものというべきであるから、かかる事実を佐藤浩が死亡した当時その両親に知らせなかったとしても無理からぬところがあり、佐藤浩の通夜に生徒を出席させず、またその遺体を解剖する必要のあることを両親に知らせなかったことがいずれも事実であるとしても、それに他意はないものというべきである。したがって、生徒、父母等の学校側に対する疑問は、必ずしも当を得ていたものかどうかは疑わしいものといわなければならない。また、被告のいうように、水戸五中事件を契機に、五中の教師と生徒、父母との信頼関係が崩壊するほどの事態に立ち至ったとまで認めるに足りる証拠はない。

しかし、<証拠>によれば、被告は水戸五中事件に関し、その刑事公判記録の閲覧や、五中教師からの事情聴取等を行う過程で、学校側が前記のように生徒、父母等から疑問を提示され、あるいは教育現場において、教師が生徒の肩に少し触れただけで生徒から「先生、暴力は新聞に出るよ。」などと言われて思いつめ、辞表を出す騒ぎがあったり、一部生徒が「先生は大事なことを黙っていた。」「先生のいうことは信用できない。」などと教師に対する不信感を募らせたりすることがあって生徒間に少なからず動揺が生じたりしたにもかかわらず、格別これら生徒、父母の疑間に答えたり、事件についての見解を明らかにし、事態の改善を図ろうとすることはなかったことが認められる。

してみれば、被告が、学校側の右のような対応の仕方に対し、第三、四項目の記述に述べるような原告を含めた五中教師の水戸五中事件の重大性に対する認識と教育的責任を負っていることに対する自覚の欠如を指摘したことには無理からぬところがあり、被告には第三、四項目の記述が真実であると信じるについて相当の理由があったものというべきである。また、第三、四項目の記述は、右事実を前提として、原告及び五中当局には教育的責任がある旨の意見を述べているものともみられるが、被告は右のようにその前提となる事実が真実であると信じるについて相当な理由があったものである。

(4) 第五項目の記述について

前掲甲第三号証によれば、第五項目の記述は水戸五中の卒業生の発言を引用したものであることが明らかである。しかして、このような伝聞にかかる事実を摘示した場合といえども、摘示者が引用の内容が真実であることを前提にしてこれを肯定的に引用しているときには、真実性の証明の対象はその伝聞の存在と、伝聞にかかる内容たる事実であると解するのが相当である。けだし、他人の名誉を毀損するという意味では、直接体験した事実を摘示しようと、伝聞にかかる事実を摘示しようと変わりはないからである。

そこで、これを本件についてみるに、証人上村徳子、同大津八郎の各証言及び被告本人尋問の結果によれば、昭和五六年四月一九日開催の「子どもを守る懇談会」において、五中卒業生が第五項目の記述のごとき内容の発言をしたことは認められるけれども、その内容たる事実が真実であると認めるに足りる証拠はない。しかし、<証拠>によれば、右懇談会は予め新聞でも報道され、公開の下に、新聞記者、父母、市民、五中卒業生など六十余名が参加して行われたこと、懇談会の冒頭司会者から、会の模様についてはテープをとり、後日被告がその模様について月刊「教育の森」に執筆する予定であるから了承されたいとの申入れがあり、異議なく懇談会は始められたこと、懇談会は被告の「水戸五中事件の経過と裁判の問題点」という講演のあと、「父母からみた体罰についての報告」、「学校教育と子どもの人権について現場教師からの報告」、「質疑・応答・討議」の順序で進められ、終始真面目な雰囲気で行われたこと、第五項目の記述の発言はかかる体罰についての報告の中で述べられたもので、発言者は後日被告が本件論文を執筆するに際し調査したところ、東京高裁判決後東京高等検察庁宛に事件を上告してほしい旨の嘆願書を自筆で記載した者で、そこには第五項目の記述の内容がより詳しく書かれていたこと、これらの事情から、被告は右卒業生の発言の内容は真実であると信じて本件論文に掲載したことが認められる。

以上認定の事実によれば、五中卒業生の発言は、仮にそれが真実でないとしても、被告がこれを真実であると信じたことには相当の理由があったものというべきである。

(5) 第六項目の記述について

前掲甲第三号証によれば、第六項目の記述は、母親Bが他の母親の話を紹介する発言を引用したものであることが明らかである。しかして、このように、第三者から聞いた話を紹介する発言を引用して事実を摘示した場合は、その真実性の証明は、引用にかかる発言が真にあったかどうかという点のほか、発言者が真に第三者から引用にかかる話を聞いたかどうか、また、その第三者の話の内容が真実であるかどうか、さらにはこれらが真実でないとしても、真実であると信じるにつき相当の理由があったかどうかという観点から検討すべきものであると解するのが相当である。

そこで、これを本件についてみるに、<証拠>によれば、前記懇談会において、母親Bなる者が第六項目の記述のごとき内容の発言をしたことは認められるけれども、その内容たる事実が真実であると認めるに足りる証拠はない。しかし、被告人本人尋問の結果によれば、被告は以前から母親Bなる者と面識があり、被告が知るところでは、同人は懇談会が開かれた当時五中に在学する生徒を持つ母親で、数年前までは教師をし、信頼のおける人物であったこと、しかも同人はかねてから水戸五中事件に強い関心を寄せ、その成り行きを見守っている者で、本件発言も五中の卒業生と同様、多数の参加者が出席している中でのものであったこと、被告は後日本件論文を執筆するに際し、右の母親Bなる者に面会して調査したところ、発言にある「他のお母さん」は現在もその体罰問題について怒っているとのことであったこと、そして同人に対する事情聴取は同人が五中の学区内で自営業を営んでいる関係からこれを拒んでいるとのことでできなかったが、母親Bなる者から聞いた限りでは「他のお母さん」の話は間違いないものと思われたこと、以上の事実からこれを真実と信じて本件論文に掲載したことが認められる。

以上認定の事実のほか、「他のお母さん」の話の内容が言いにくいことを極めて具体的に述べるもので、これがことさら嘘や偽りであるとは思えないことなどに照らすと、仮に母親Bの発言あるいは「他のお母さん」の話が真実でないとしても、被告がこれを真実であると信じたことには相当の理由があったものというべきである。

(6) 第七項目の記述について

前掲甲第三号証によれば、第七項目の記述は、本件論文が執筆された当時、前記「子どもを守る懇談会」を主催した「子どもの人権を守る父母の会」が、当面の課題の一つとして、「「女教師体罰事件」の真実を明らかにすること」という事項を考えていることを記載したものであることが認められる。

そこで、まず、「子どもの人権を守る父母の会」が真実右のように考えていたかどうかについてみるに、<証拠>によれば、右会は、広く体罰の事例を集めること、それらのことから学んだことを通して子どもの人権を守り教師と父母の信頼関係を深めることのほかに、「女教師体罰事件」の真実を明らかにすることを課題として取り上げ、二回目以降の「子どもを守る懇談会」をそのような趣旨の下に進めていくこととしたことが認められる。したがって、「子どもの人権を守る父母の会」が、第七項目の記述にあるような事項を課題の一つとして考えていたことは真実というべきである。

次に、第七項目の記述の「真相を明らかにすること」との部分は、水戸五中事件の真相が東京高裁判決の認定した事実以外にあることを示唆するものであるが、前示のとおり判決の認定した事実は必ずしも客観的真実と符合するとはいえず、しかも右事件の訴訟記録等に照らせば、東京高裁判決と異なる認定がされた余地もあったものというべきであるから、右記述は真実であるか、真実でないとしても被告にはこれが真実であると信じるにつき相当の理由があったものというべきである。

(四)  以上説示したところによれば、被告の抗弁3項は理由があるものというべきである。

四よって、原告の本訴請求は理由がないからいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官矢崎秀一 裁判官近藤壽邦 裁判官池田陽子)

別紙謝罪広告

私が寄稿した昭和五六年七月一日毎日新聞社発行の月刊誌『教育の森』中の「痛み覚えぬ教師たちとの闘い」と題する論稿の中に、貴殿に関し、事実を無視して非難した箇所があり、そのため貴殿の名誉を著しく傷つけたことはまことに申し訳なく、ここに深く謝罪いたします。

今橋盛勝

加藤裕子殿

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